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vol.052 水辺の生き物たちから学ぶ

今年の夏は、「暑い!」、「熱い!」 と呻いているうちに終わりました。私は暑さを避けるため、毎朝4時半に起きて、昼までに1日分の仕事を終え、最も暑さが厳しくなる午後はこまめに水分を補給して、疲れたら休む。 そんなふうにしてなんとか乗り切りました。


それでも、人間は文明の利器が使えるから、まだ自然界の生き物よりは楽かもしれません。 私たち人間は、夏はエアコン、扇風機で涼を取り、冬は電気やガスの暖房に頼るか炭や木を燃やして暖を取り、結局マイナス20℃~50℃という極寒から灼熱の環境でも生きてゆけるような人工環境を整備しました。


でも、悲しいかな、人間以外の生物は、夏は日差しの届かない場所に移動する程度のことしかできません。特に、行動範囲の限られた水辺の生物にとっては、生活を脅かすような高温が続くことは死活問題に関わります。


▼ シュノーケリングを楽しむ池田さん


私は、この夏、海や川に遊びに出かけてシュノーケリングや素潜りを楽しんでいるうちに、視界に入ってくる水辺の生き物たちについて、少し考えるようになりました。 「人間っていいなぁ …。自分たちで自然環境を壊していながら住みにくいと騒ぎ、それを解消するといいながら、もっと自然を壊して、さらに住みにくいと嘆いている。じゃ、僕らはいったいどうしたらいいのさ?」


海や川のような水辺にしか棲めない生き物が、もし口を利くことができたなら、きっとそう言うに違いありません。


ご存知ですか? 水辺の生き物にとって、気温が変化したときの適応限界温度は、プラス・マイナス2℃だそうです。 私の家の前を流れている長崎県の彼杵川 (そのぎがわ) の下流から中流域では、例年、夏場は20~25℃の水温になります。 ということは、そこに棲む生き物たちが耐えられる限界水温は18℃~27℃ということになります。

そのことが気になり、温度計を使って川の温度を測ってみました。 すると、場所によっては生物の適応限度を超える28℃を示す場所もあり、特に岩場などの水たまりは30℃以上になっていました。 はたして、水辺の生き物たちは、この夏を乗りきれるのだろうか? 私は不安を感じました。


やはり不安は的中しました。 9月の初め、アユを、投げ網を使い、捕獲調査したときのことです。 例年なら、一回の投げ網の作業で、20~30cmほどのアユがたくさん引っかかってくるのですが、今年は何回場所を変えてもアユがかかりません。一日がかりでやっと一匹。しかも体長は13cm。


河川の水辺調査をしているコンサルタントの方に話を聞くと、やはり水温と降雨状態が影響しているというのです。 今年は、雨の降らない空梅雨で夏が始まり、後半は一転してバケツの水をひっくり返すような大雨の連続。この環境の激変に、水辺の生き物がついてこれなくなったのだそうです。


思えば、雨の降らない日が続いた7~8月初旬。川の水たまりは太陽のカンカン照りにさらされて、30℃近くになっていました。それでもアユは、その熱い水たまりを避け、なんとか流れのきれいな場所を選んで泳いでいました。 しかし、そのアユたちも、8月後半に続いた大雨で勢い良く海まで流されてしまいました。


今年の夏のような厳しい暑さはもうこりごりです。来年は、水辺の生き物にとって、もっと棲みやすい環境を神様にプレゼントしてほしいと思います。


少しさびしい前置きになってしまいましたが、どうか皆さんも水辺で遊ぶときには、そこでしか生きられない生き物たちのことをちょっと考えてあげてください。 もちろん、水辺は人間にとっても憩いの空間です。 泳いでもいいし、カヌーに乗ってもいい、水辺をスケッチしてもいい。そこで語り合ってもいい、本を読んでもいい。 そういう楽しみを味わいつつ、あの生き物たちはどうしているのか、今年はどこに行ったのか。 少しでいいから、そんなことにも気をかけてやってください。


私は、これまでずっと水辺で遊んできたために、水辺が人間の営みによって汚れたり、暮らしにくくなっていく経過を見てきました。そのうちに、白い腹を浮かべて死んでいる魚を見ただけで、「ナイフで心をえぐられる」ような気持ちを抱くようになりました。


そんなことを考え続けて、7年目。いろいろな方々の協力や賛同を得ることができて、私の家の前を流れる彼杵川の自然環境を守ることを謳った 「彼杵川まつり」 が、この9月8日に盛大に開かれました。


▼ 彼杵川まつり


まつりには、国交省や県の河川課の方々や、当町の自治体町づくり課の方々、川の流域の自治会や多くの住民の皆さまが参加され、河川公園のカッパ広場には、自衛隊音楽隊の演奏が青空に響き渡り、子供たちは川で泳ぎ、大人たちはカヌーで遊んだり、川辺で語り合ったり、食事をしたり…。そんな私の追い求めていた光景がところ狭しと展開されました。


▼ 彼杵川まつり 自衛隊音楽隊の演奏(左)/カヌー遊び(右)


この「彼杵川まつり」は、今後は毎年開かれ、当日岸辺を彩った赤と緑のカヌーもこれからは常設されるとのこと。 まさに、30年ぶりに戻ってきた 「清流の女王」 アユが、人と水辺の生物たちが共存していた昔の川に戻してくれたのです。


私たちが5年前から提案し続けた魚道の改良も、行政側の県の河川課の理解が得られ、現場の川に入りながら、改善のプランを出し合い、本年より順次着手していくとのこと。それも知恵を絞って、お金をかけない工法で施工されます。


このような試みが成功して、アユや水辺の生き物の生息領域が広がれば、人もまた集まってくるはずです。7年前に、なぜこの川から子供たちの泳ぎ楽しんでいる風景が消えたのか。こんないい場所が目の前にあるというのに、なぜ子供たちはコンクリートで仕切られた25mのプールに吸い寄せられていったのか。 それは、結局 「水辺で遊ぶ文化」 が私たちの意識の中から消えたからです。


水辺で遊ぶ文化は、水辺の生き物たちとの共存からしか生まれません。 日本の河川は、あまりにも治水の方ばかりに気を取られてしまい、護岸工事ばかり優先させて、水辺をすみかにしていた生き物たちに気を配ることを忘れてきました。


どうしたらいいのか。 私は、もう40年ほど前に世話になった大学のゼミの恩師に相談することにしました。 恩師の名前は坂本先生。水辺遊びの達人なのです。 先生は、もう7年前から、水辺の生き物たちを研究し、彼らに学ぶことがあることを悟り、そして川遊びの大切さを人々に説くために、はるばる福岡からこの彼杵川まで通っていらっしゃる方です。


その坂本先生が9月8日に彼杵川まつりに来られ、環境セミナーで述べられた言葉が印象的でした。


「人が犬を可愛がると、犬は人に寄り添ってきます。犬の幸せを願うと、人も幸せになります。 実は、川も同じなのです。川を可愛がってください。川に親しんでください。すると川も人に寄り添ってきます。 川は、それ自体が生き物なんです。そこで遊んでください。楽しい時を過ごしてください」


いい言葉でした。短い挨拶でしたが、心に響きました。


坂本先生以外にも、印象的な言葉を残された方がたくさんいらっしゃいました。 そのひとりが、東彼杵町の渡辺さんでした。


「私は、40年間役場勤務を続けてきましたが、20年ほど前から河川の管理方法に疑問を感じるようになりました。つまり、川を運用するときの効率や利便性ばかり優先し、川と人との付き合い方を忘れがちになっていたことに気づいたのです。 願わくば、川に笹の舟を流し、フナやボラを釣り、時には牛を水浴びさせていた昔の彼杵川を少しずつでも復元していくこと。それを首長として、これからの行政の柱の一つにしていきたい」


渡辺さんのこの挨拶も、激しく私の心を揺さぶりました。


もうひとり、心を打ったスピーチがありました。 それは、国土交通省筑後川河川事務所の中島さんの挨拶でした。


「私は、子供の頃、川がすぐ家の前にある風景の中で育ちました。春から秋にかけては、学校から帰ってきたらランドセルを家の中に放り投げ、川に遊びに行くのが日課でした。

現在は私も家庭を持ち、14歳と11歳の息子、8歳の娘がおりますが、子供たちとは、できるだけ川で一緒に遊ぶように努めています。 長崎の彼杵川に最初に来たときは、こんなに素晴らしいロケーションに恵まれているにもかかわらず、子供が遊んでいないことをとてもさびしく感じました。 それならば、アユがこの彼杵川に戻ってきたように、今度は子供たちをこの川に連れ戻そう。彼杵川を、アユも子供も遊べる川に還すお手伝いをしよう。そう思って福岡から応援にかけつけました。 川の遊びを通じて川を元気にすることは、私自身が元気になることだと気づきました」


▼ 平成25年夏、佐賀県の喜瀬川で川遊びをする中島氏と息子・娘たち


挨拶の締めくくりとして登場した県北振興局河川課の壇さんのお話も素晴らしいものでした。

この日は、短パンにサンダルという仕事を離れたオフのいでたちで登場した壇さん。そのスタイルには、「デスクワークを離れて川を友として生きる」というメッセージが込められているかのようでした。 壇さんは言います。


「本日の川まつりが、これほど盛大に行われたことに対して、河川課としてお礼を申しあげます。皆さんの希望にそって、本年9月より順次魚道の改良にも着工いたしますし、子供たちの親しめるような河川への取り組みもできる限りの力を込めて手がけます。 また、川まつりをきっかけに、大村湾全体の復活にも鋭意取り組んでいきます」


壇さんのスピーチからは、子供たちへの愛や、川や海の生き物への優しい視線が感じられました。


このような、失われた自然の豊かさを復活させようという声は、実はいま私の周辺のあちらこちらで聞かれるようになりました。 なんと、国交省、県の河川課、東彼杵町の町づくり課、自治会区長の方々の共通する合言葉が、「スナメリを戻そう」 というのです。 スナメリはイルカの仲間で、かつては地元の大村湾にたくさん棲息していました。 それが、大村湾周辺の環境変化によって、ここしばらくはあまり見かけないようになってしまったのです。 そのスナメリを呼び戻すという運動も、いま私の周辺では広がり始めています。 う~ん、なぜこんなに広がってきたのか。

結局は 「自然」 について考え始めた人々の小さな努力の積み重ねではないかと思うのです。


そのことについて、やはり、忘れられない思い出があります。 やはり、5年ほど前。 坂本先生のゼミのチームと出会えた頃、実はもう一つの出会いがありました。 それが、当時彼杵小学校の校長を勤めておられた横尾純子さんとの出会いでした。


彼杵小に着任された4月でした。横尾先生が学校行事の相談で、拙宅を訪ねられたことがありました。 そのとき、私は自分が関心を抱いていた、「アユを彼杵川に戻す話」、「大村湾にスナメリを復活させる話」 などを滔々としゃべりまくってしまいました。 「たった1回、川の掃除をして、お礼の手紙を届けるだけでは、子供たちにとって何の意味もない」という私の苦情にも耳を傾け、 「ぜひ、いっしょにやりましょう !」という力強いお言葉をその場で返してくださった横尾先生。


▼坂本先生(元近畿大教授)と坂本ゼミチーム&横尾校長先生


以来、横尾先生は彼杵小で、「川の学校」、「山の学校」、「海の学校」という課外授業も含む完璧なカリキュラムを作られ、子供たちとともに活動を楽しまれました。 そこから、坂本ゼミチームと彼杵小チームの絶妙なコラボレーションが生まれることになりました。


現在、彼杵川の整備には、国・県、彼杵町、大学チーム、地域自治会などさまざまな組織・団体が力を貸してくれることになりましたが、その発端は、坂本ゼミチームと彼杵小チームの小さな助け合いにあったのです。


両チームの協力関係は、横尾先生の教育者らしい一言から生まれたといっていいでしょう。 「私は、学校の活性化こそが、地域の活性化につながると信じています」 その一言が、現在は県や国の交流にまで広がりを見せるに至ったのです。


振り返れば、今から4年ほど前。彼杵小チームと坂本ゼミチームが川で総合学習を行ったときのことでした。 何気なく川を覗いていた一人の子が叫びました。 「あ、アユだぁ !」 みんな作業の手を休め、一斉にその子の指差す方向を眺めました。 確かに、アユでした。 30年ぶりに川に戻ってきた「清流の女王」。 子供たちは、うれしさんのあまり抱き合い、肩を叩き合い、大喜び。中にはうっすらと涙をにじませている子もおりました。 そのときの思い出は、私の一生の宝物の一つです。


▼ 池田さんと地域の子供たち


あれから4年。子供たちは、もうこの川が自分たちのアユの“ふるさと”であることを信じて疑わないようになりました。


今年の10月、子供たちは、アユやアユを愛する人たちに宛てて、ラブコールを送りました。

「どうか、来年の春も川を登って来てください、僕らに子供たちに元気なメッセージを伝えに、海から帰ってきてください。お願いします」 と。


次の文は、そのラブコールのひとつ。彼杵小学校・4年1組の渡邉美月さんが、私に送ってくれたお手紙です。


彼杵小の子供たちは、川を通じて、先生とのつながりを大切にし、仲間同士の絆を深め合い、そして、その地域の指導に当たった私のような者にまで心を通わせてくれるようになりました。


そのきっかけをつくったのは、水辺の生き物を代表する 「清流の女王」 アユさんです。 やはり、あなたにはかなわない。美しく高らかに「希望の鐘の音」を鳴らし続けたのは、やはり、あなたです。


もしよかったら、みなさんも参加してみませんか、水辺の調査隊に。 私は素潜りとカヌーしかできませんが、何か好きなことが一つでもあれば、それでいいのです。 水辺の写真を撮ることが好きなだけでもいい。絵でもいい、作文でもいい、親子の遊びでもいい、語らいでもいい、ひとつでも好きなことがあれば、他の資格は要りません。 もちろん、隊長はいません。全員が隊長です。 たった一つの資格があるとすれば、マナーの守れる人、そして水辺を楽しめる人。それだけです。 彼杵川は、水辺調査隊隊員を、現在募集中です。


《 町田の感想 》 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


「日本から水辺で遊ぶ文化が消えた」 今回の池田さんのエッセイにおいては、この言葉が重要です。 池田さんは、こういいます。 「水辺で遊ぶ文化は、水辺の生き物たちとの共存からしか生まれません」


この一言の中には、「文化」 を人間のつくった建造物とか電化製品とか、目に見える物質でしか考えてこなかった近代日本に対する批判が静かに込められています。 「文化」 というのは、人間と自然がハーモニーを奏でるところからしか生まれないのではないか。ここでは、そういうテーマが掲げられています。


自然との調和 (ハーモニー) を忘れた文化は、いずれ自然からのしっぺ返しを受けます。それは、自然そのものが、豊かさを失ってやせ細っていくことかもしれないし、逆に人間の生存権を脅かす災害の形を取るかもしれません。


現代の子供たちが、昔の子供たちがなじんでいた川遊びを捨てて、コンクリートで囲まれたプールという人工環境のなかで遊ぶようになったのは、親や学校が「川で遊ぶのは危ない」と、子どもを川から遠ざけていったことと無縁ではありません。要するに、大人たちが、川で事故が起こったときの管理責任を問われるのが嫌だったからでしょう。 そうやって、川から遠ざかっていったために、大人も子供も、「川の変化」 に対する適応力を失ってきたというのが現状ではないでしょうか。


「文化」 とは、常に変化していく自然に対応できる人間の力のことをいいます。 それは、自然の“心”を読み解く力ともいえるでしょう。 今回の池田さんのお話は、そのことを「水辺の生き物」を例にとって、やさしく、分かりやすく伝えてくれています。

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