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vol.053 寅さんに会おうと決めた

カーバイトを燃やしたアセチレンガスの匂い、バナナの叩き売りをやっているオジさんたちが、ねじりハチマキをきりりと引き締める。「さぁさぁ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。そのオア兄さん、粋なねぇさんも寄ってきな。不老長寿、精力増強の万能食品、新鮮なバナナの大安売り ! 一本食べれば、オタクの母ちゃんが20歳若く見え、朝のカラスが鳴くまで寝かせネェよってほど精のつく食いもんだ。 ほらそこのおじいちゃん、こいつを3本食べれば、孫より若い子供がつくれるよ、ほら …」


威勢のよい口上に足を止める人たちの輪が広がる。 そのオジさんが、「こちとら、生まれも育ちも葛飾柴又だい … 」 って叫べば、もう寅さんの世界。懐かしい日本の祭りの一コマ。


しかし、今、縁日に出かけても、リンゴ飴売りのオジさんも、金魚すくいのオバさんも黙ったまま。バックに流れる音はただのCDプレイヤー。威勢のよい口上なんて、どこからも聞こえない。 探しても探しても、寅さんはいない。


寅さんはいつも不意打ちが得意。 バッグ一つの気軽ないでたちで、雪駄ばきの寅さんが現れるたびに柴又の町は大騒ぎ。 シャイで照れ屋のくせに、人の心の中にズカズカ入っていくフーテンの寅さん。ズカズカ入って人を混乱させ、トラブルを起こし、それにもかかわらず誰からも憎まれない不思議な人。


きっと、寅さんの心はいつも空っぽなんだろう。 寂しくても甘えがない。怒っても恨みがない。 悲しくても女々しさがない。 何から何まで、ないないづくし。 いつも風が吹きわたっていくような空っぽな心。 「また行ってくるよ」 最後は、寅さん自身が風になって去っていく。


ひなびた海辺の町。古い山すその城下町。流れる汗を吹きながら、寅さんはいつも一人でつぶやいている。 「♪ ケッコウケダラケ、ネコ灰ダラケ。今キタコノミチ通リャンセ。♪ 俺を愛してくれる粋なネェちゃんなんて、そのうちどこかで会えますよ」


人が旅に思いを馳せるときの原点は、ここにあるように思います。 何を求めるのでもない、何を期待するのでもない。 でも、何かが自分を待っているという予感。 同じことを繰り返す毎日の暮らしのなかで、ふと使い古したバッグに荷物を入れ、ブラっとどこかへ行きたくなりませんか? 昨日まで大事に思えていた荷物をポイと捨て、ガラクタだけを鞄に詰め、不意に出かけたくなりませんか?


「おーい、行ってくるぞ」

「え? どこへ行くの」 びっくりするカミさんや子供に向かい、あたかも自分が風になった気分で、 「寅さんを探しに行くんだ」


そんな旅に出ようと思っています。; 車の中に、役に立たないようなものをたくさん放り込み、気に入ったミュージックだけをセレクトし、いつものシャツに、いつもの靴。 寅さんのように心を空っぽにし、ひたすら夕陽だけを追いかけて。


そして、寅さんを見つけることができたなら、 「2階の俺の部屋、寅さんに貸してやってくれ」 そんなことを言ってみようかと思っています。


《 町田の感想 》 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


長崎のキャンピングカービルダー「カスタムプロホワイト」の池田さんの連載エッセイも、これで53回目となりました。第1回目から数えて、いったい何年になるのでしょうか。 初期のエッセイに登場されていたお嬢さんが、画像で見るかぎり小学生ぐらい。 現在、そのお嬢さんが立派な社会人となって活躍されているということですから、このエッセイの連載は、軽く10年は超えていると思われます。


この間、池田さんは、水辺の生物たちの生態を語り、愛犬たちの生活を語り、ボブ・ディランやCCRのような音楽を語り、キャンプと焚き火を語り、釣りや山歩きを語ってきました。


そのどれもが、アウトドアを基軸にして生きてこられた池田さんの生活を鮮やかに物語っているのですが、今回のエッセイはその池田さんの 「原点」 が浮き彫りになった作品のように思われます。

池田さんは、“寅さん” の精神風景に思いを馳せます。


「いつも風が吹きわたっていくような空っぽな心。 『また行ってくるよ』 最後は、寅さん自身が風になって去っていく」


そう描かれる “寅さんの心” には、実は池田さんご自身の心が反映されているといってよいでしょう。 ここには、漂泊の歌人であった西行法師や、さすらいの俳人であった芭蕉の精神が息づいているように思われます。


つまり、「空っぽな心」 は、虚無の精神を表しているわけではないのですね。 そうではなくて、物事の本質をしっかり見極めるために、頭の中に 「風」 を入れて、雑念を吹き払うという意味が込められています。


そうして、清浄な静けさを取り戻したときに、はじめて 「心の鏡」 に映し出される美しい風景。 そういう風景を求めて旅立つことを、池田さんは 「寅さんを探しに行く」 という寓意で語るのです。


思えば、この連載エッセイのタイトルは 「答は風の中」 。 連載を始められた動機が、すでにそのタイトルの中にあります。 このタイトルには、「人間はなぜ旅をするのか ?」 という問と、その答が含まれているのです。


旅とは、「風の中で誰か自分を待っている」 という手触りを感じること。 寅さんがそれを求めて漂泊していくように。

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